菅原神社

妙善寺を出て、大通りに出るとすぐに菅原神社があります。それもそのはず明治時代の神仏分離まで妙善寺の境内に菅原神社がありました。
そもそも江戸時代の寛永元年(1624)中院の尊能法師そんのうほうしによって妙善寺を開山した際に、その境内に天神社として勧請したのです。祭神は、もちろん菅原道真公です。
菅原道真公が天神社に祀られるようになったのは、菅原道真が太宰府ざざいふに左遷され、悲嘆のうちに亡くなった後、事件に関係した人々が相次いで急死し、天皇の御殿である清涼殿に落雷や疫病などの天変地異が起こったことで、道真の霊を鎮めべく道真に天満大自在天神てんまんだいじざいてんじんという神格で贈って祀ったことに始まります。平安時代の都であった京都には、北野北野天満宮が、道真の最後の任地であった太宰府には、太宰府天満宮が造られ、菅原神社もそれにつながります。
>菅原道真が道真が京の都を去る時に詠んだ「東風こち吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」は有名。その梅が、京の都から一晩にして道真の住む屋敷の庭へ飛んできたという「飛梅伝説」も有名である。菅原神社の境内にはそうした梅にちなんで梅の木が何本が植えられています。
菅原神社の入り口の鳥居に並んで、「大仙波新田開郷三百周年記念碑」がたてられています。いつから三百年か正確なことはわかりませんが、江戸時代の三代将軍家光の頃、大仙波村から新しく大仙波新田が分離したことを記念した碑で、その後明治二十二年に再び仙波村に編入されたこと、この菅原神社に六塚稲荷社が合祀されたことが記されています。大仙波村や仙波村が現在の仙波町の他、富士見町・岸町・菅原町、新宿町や脇田町の一部を含むものであることが想像されます。またこの大仙波新田が今の菅原町のことを指すのは間違いないことでしょう。なお妙善寺の駐車場があり、菅原町の山車が収納されている所にかって仙波村役場があったそうです。
戻る
HOME