「うとうざか」と呼びます。「うとう」というのは、「切通し」という意味で急傾斜の土地を少しでもなだらかにしようと人の力を加えた所であることが想像でき交差点ます。鳥頭坂は、東京の板橋(昔の江戸の板橋宿)で中山道から分かれ川越とを結ぶ旧川越街道が川越の町にさしかかる約一キロの所にありました。
現在は、国道254号線が通り、主役の座をゆずり、交通渋滞を緩和する程度に利用されています。国道254号線は「新宿町北」交差点で国道16号バイパスと一緒になりますが、鳥頭坂はその少し手前で国道254号線と合流しています。合流地点の少し手前に熊野神社がありその石段の下に「鳥頭坂」の石碑と掲示板が立っています。掲示板は川越市教育委員会によるものでもここに掲載させていただきます。
鳥頭坂(市指定・史跡)
旧川越街道を岸町から新宿町二丁目・富士見町へ上る坂道で、往時は杉並木がありうっそうとしていた。新河岸川盛んな頃は、荷揚げされた荷物を市内の問屋街に運ぶときに必ず通らなければならず、難所として知られていた。川越の地の舟運が名とし』て古くからあり、文明十八年(一四八六)頃、この地方を遊歴した道興准后の『廻国雑記』に。「うとふ坂こえて苦しき行く末をやすかたとなく鳥の音もかな」という歌がある。
道興という人は、室町時代の聖護院というお寺のお坊さんで、お寺を普及させるため、北陸地方を初め、関東地方や東北地方をめぐって、後に紀行文を「廻国雑記」として著したという。