新河岸川その二
新河岸川下流に行くと、「新扇橋」に至ります、向こうに見えるのは砂中学校
ここで新河岸川は<ruby>不老<rt>ふろう</rt></ruby>川と合流します
<ruby>新扇<rt>しんおうぎ</rt></ruby>橋から合流点を望む。手前が新河岸川。向こう側は不老川
さらに下流に行くと、目の前に大きな橋がみえてきました。<ruby>旭<rt>あさひ</rt></ruby>橋です
旭橋にさしかかる前に左側に水ここ旭橋を中心に、下新河岸、<ruby>牛子<rt>うしこ</rt></ruby>河岸、上新河岸がありました
ここ旭橋を中心に、下新河岸、<ruby>牛子<rt>うしこ</rt></ruby>河岸、上新河岸がありました
川越井教育委員会による案内板。文字の読み取りがむずかしい
新河岸の日枝神社内の観音堂と<ruby>馬頭尊<rt>ばとうそん</rt></ruby>(手前)
日枝神社の全景─新河岸川の舟運と深いつながりがありそう
日枝神社の全景─新河岸川の舟運と深いつながりがありそう
今も残る船問屋「<ruby>伊勢安<rt>いせやす</rt></ruby>」の店構え
新河岸川の舟運が盛んだった頃、問屋やお店が密集していたが…
前回に引き続き新河岸川をとりあげます。今回は、新河岸川沿いをさらに二、三十分下り扇河岸、少し先の下・上新河岸、牛子河岸を紹介します。残念ながら寺尾河岸の跡までは足をのばせませんでした。
さて紹介するといっても私には、新しい見聞をもちあわせていませんので、前回参照した斎藤貞夫氏の「川越舟運」から下新河岸の船着き場跡に隣接する日枝神社境内に残る観音堂と馬頭尊とにまつわる逸話等についての記述について引用させていただきます。
──
帰命頂来新河岸の
観音さまは誰が建てた
木ノ目の長者がお建てやる
何の為とてお建てやる
その児の為にお建てやる
こんな御詠歌が、筆者の住む新河岸観音堂付近の古老たちの間に伝わっている。
さて、右にあげた
御詠歌の一節、木ノ目(現・川越市)の長者なる者が、いつこの新河岸の地に観音堂を
勧請したかは不明であるが、『入間郡誌』(安部立郎編)によれば、木ノ目長者といわれた大河内某が、娘の病気平癒を祈願して建立したのがその始まりだと記されている。