江戸時代のはじめ、島原の乱といわれる農民の大一揆(実際には武士数十人ふくまれていたそうです)が起こりました。島原・天草のともよばれるキリスト教弾圧に抗して立ち上がった農民一揆がありました。10月末に勃発して翌年の2月末に終息したというからいかに大規模だったのかわかります。ところで、天草地方に隣接する熊本藩では、この乱が、自国の農民に波及するのをおそれ、つぎのような命令をだしたのです。「百姓に似あわざる天下物語、つかまつるまじき事」というものです。現代的に言いかえると「農民は、政治的な事柄についてあれこれと議論するのは身分上ふさわしくないのでやめるように」というぐらいの内容でしょうか。当時の熊本藩の為政者と、今の日本の政権担当者とよく似た志向をもっているように思います。日本中がワールドカップサッカーの熱狂につつまれている時に、国の行く末を閣議決定で決めててしまった岸田政権の姿勢が、江戸時代初めに農民に政治的な事柄に思いをいたさないようにした熊本藩の人々と同じように似ている気がします。専守防衛の今までの大原則を捨て、敵基地への攻撃能力を保有するということは、何を意味するでしょうか。太平洋戦争の火ぶたをきった日本軍の真珠湾攻撃を可能にすることではないでしょうか。日本軍が先制攻撃の成功の後、泥沼の敗戦の道につき進んだことはよく知られていることです。岸田内閣は、近未来の若者に今から七十数年前の日本のまちがった道を歩ませるつりなのでしょうか。
コメント