ヤマブキの花にたくして

生け花
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ピンクの花は、キンギョソウ。黄色い花は、ヤマブキ。このヤマブキは一重咲きらしく 五枚の花弁がありました。ところでヤマブキといえば、一輪の八重咲のヤマブキの花と太田道灌どうかんの話を思い出されます。あるいはご存知の方もおられるかと思いますが、ここで簡単に紹介します。まず太田道灌は、どんな人かというと、室町時代の最後、戦国時代が始まる直前にあたる時代に生きた武将です。当時関東地方には、将軍家につながる古河公方と、北武蔵に勢力をもつ山内やまのうち上杉氏と南武蔵に勢力をはる扇谷おおぎがやつ上杉氏とがたがいに抗争しあっていました。道灌はその父太田道真どうしんとともに扇谷上杉定正につかえました。扇谷上杉氏は一番勢力としては小さかったようですが、道真・道灌父子は、江戸城や河越(川越)城などを造るなど主人を上回る名声を得ました。道灌は主人定正にねたまれ、糟谷館かすややかた(今の神奈川県の伊勢原市)にまねかれ謀殺されてしまいました。その道灌が諸説あるようですが今の埼玉県越生町にやってきた時、にわか雨にあい、近くの農家におとずれたところ、その家の娘がヤマブキの花を差し出したというのです。道灌にとっては雨具として蓑などあれば借りたいと思ったのにと腹を立ったので、家来にそのことを話したところ、つぎのような歌が詠まれていることがわかったのである。「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」つまりヤマブキの花は、特に八重咲のヤマブキは実をつけないことから、農家の娘としては、蓑をお貸しできない申し訳ない気持ちをヤマブキの花に託したのではないかと道灌は考えたようです。

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